タイの歴史丸わかり編①〜タイ人はどこからやってきた?〜
サワディーカー!LABタイ語学校です。
今回から、何回かに分けてタイの歴史について少し詳しく解説します。
世界史を習ったことがある人でも、タイの歴史の全貌を知っている人はかなり少ないはずです。
そんなタイ史初心者の方向けに、わかりやすく解説します(^ ^)
今回は第1弾!これであなたもタイ史マスター!
〈目次〉
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1. タイ人の原点
早速、タイが現在のタイになるまでの物語を見ていきましょう。
タイ人はどこからやってきた?
現在のタイに住んでいるタイ人の85%が、タイ語を話す「タイ族」という民族です。
しかし、「タイ族」は現在のタイにもともと住んでいた訳ではありません。
タイ族は、中国の揚子江以南の地域で発生した民族で、理由があって南へ南へと移動してきて、現在のタイにたどり着きました。
タイ族はどうして南下した?
タイ族が発生した地域には、中国の民族「漢民族」も住んでいました。
そんな漢民族の人口は時と共にどんどん増加していき、住む場所もどんどん広げていきました。
もちろん近くに住んでいたタイ族の地域にも手を伸ばし、どんどんタイ族を追いやっていったのです。
当時の漢民族は勢力のある強い存在でしたので、その勢力から逃げるようにタイ族はひたすら南方へ移動することとなりました…。
南下したタイ族が築き上げた国々=「ムアン」
そんなこんなで南下してきたタイ族。盆地の近くが定住地となりました。
盆地は稲作を行うにはぴったりの場所だったので、タイ族は稲作活動を始めました。
しばらくすると稲作活動を中心に共同体が現れ、いくつかの「むら」が形成されます。
すると今度は「むら」をまとめる「リーダー」が出てきて、
その「リーダー」が複数の「むら」を束ねて「くに」を作りました。
その「くに」はタイ語で「ムアン」と言います。
こうして、南下してきたタイ族はそれぞれのムアンを形成していきます。
それはこの時代の「ムアン(=国)」という概念からできたものだったんですね(^^)
2. 次々に巨大ムアンが出現(12世紀〜)
タイ民族が築いたムアン(=国)のいくつかは、やがて巨大なムアンとなり勢力を持ち始めました。
ここでは代表する4つの巨大ムアンをご紹介します。
巨大ムアン①:シップソーンパンナー王国(1180年〜1956年)
最初の巨大ムアンは「シップソーンパンナー王国」でした。
現在の中国の景洪市を中心に栄えました。
<建国から衰退まで>
1. タイ・ユワン族「パヤー・スンカム」が他のタイ族との戦いに勝利し、シップソーンパンナー王国を設立。
2. 近隣の国の勢力が強く、モンゴル・明・ビルマに服属。
3. 中国人民政府の改革により、国家組織が解体されて滅亡。
この王国のすごいところは、なんといっても20世紀まで続いたところです。現在は中国の一部となっています。
巨大ムアン②:ラーンナー王国(1292年〜1774年)
「ラーンナー王国」は11世紀にタイ北部に出現しました。
以前の記事で5大王朝の1つとして紹介した王国です(^^)
<建国から衰退まで>
1. 「マンラーイ」が建国。1296年に新たな都市「チェンマイ」を築く。
2. 16世紀、ビルマの王朝により支配される。
3. 一度ビルマの支配から離れ復興するが、タイの新たな巨大ムアン「ラタナコーシン朝」に吸収され消滅。
ちなみに、「ラーンナー」とはタイ語で「百万の水田」の意味があるそうです。
巨大ムアン③:ラーンサーン王国(1353年〜1779年)
ラーンサーン王国は14世紀半ば、メコン川中流域に出現しました。
この王国はタイの東北部へ勢力を伸ばし、現在のラオスまで広がる王国となりました。現在のラオスの起源と言われています。
<建国から衰退まで>
1. 1353年にタイ族の一派であるラオ人(現在のラオス人)「ファーグム」が設立。
2. ビルマに侵攻を受けたが、復興し、スリニャ・ウォンサーが王の時代に最も栄える。
3. スリニャ・ウォンサーが死去すると、タイの巨大ムアン「トンブリー王朝」に吸収され、消滅。
ちなみに、「ラーンサーン」は「百万の象」という意味です。
巨大ムアン④:スコータイ朝(1220年〜1438年)
ラーンナー王国と同時期に出現した巨大ムアンで、歴史上でも重要な役割を果たすのが「スコータイ朝」です。
そこで、この王朝については少しだけ詳しく説明します。
この王朝は、チャオプラヤ川流域に出現しました。
もともとそこに住んでいた小ムアンのリーダー「パームアン」と「バーンクラーンハーオ」が、クメール帝国の当主を駆逐して王様になったのがスコータイ朝の始まりです。
ラームカムヘーン王
このスコータイ朝を一躍有名にしたのが3代目の王様「ラームカムヘーン王」です。
彼は以下のような偉業を成し遂げました。
- タイ族の王国で初めてタイの大半を支配した。
- タイ文字を作り上げた。(現在の対文字とは若干異なる)
- 上座部仏教の普及に尽力した。
このように、現在のタイの「基」となるものを築き上げた「ラームカムヘーン王」。のちに、タイの3大王のうちの一人として名をあげるようになります。
スコータイ朝の衰退
ラームカムヘーン王の時代は勢力を増していたスコータイ朝でしたが、ラームカムヘーン王が亡くなるとどんどん弱体化していきます。
6代目の王様「リタイ王」によって一時は勢力を盛り返しますが、ついに王位継承者が途絶えてスコータイ朝は滅亡することになります。
同時期に勢力を強め始めた巨大ムアン「アユタヤ朝」の王の一人がその王位を継承し、実質アユタヤ朝に併合されてしまったのです。
この「アユタヤ朝」については次回の記事で詳しく触れますね!
まとめ
さて、今回はタイ族が出現してからスコータイ朝が滅亡するまでをご紹介しました。
今の中国の地域でタイ族が生まれたり、当時のタイ族の王国は現在違う国になっていたり、とかなり複雑なタイの歴史。
でもこのシリーズを一通り読み終えれば、誰よりもタイの歴史に詳しい人になれるはずです!
次回の記事もお楽しみに!