タイの歴史について
はじめに
タイという国は、東南アジアで唯一どこの国の植民地にもなることなく、
独自の文化と発展を遂げて来た国です。
タイは、少なくとも5000年前には稲作を始めた世界最初の農耕民族と言われています。
そして数々の王朝時代を経て、今のタイという国があります。
少しはタイの歴史に興味が出てきましたか?
今回はタイの歴史について掘り下げていきます!
自分が今住んでいる、あるいは観光している国の歴史を知ることは、
タイで過ごす時間をより楽しく過ごせるはずです。
タイの歴史の大まかな流れ
スコータイ王朝(1238ー1438)
↓
アユタヤ王朝(1351-1767)
↓
バンコク王朝(1767-1782)
という流れになっています。
スコータイ王朝
タイ人の祖先は、紀元前後の中国の南部が起源です。
漢民族から逃れるタイ族は南下を続け、
現在のタイの北部に住むようになりました。
その後、タイのスコータイに王朝を成立させます。
【シーインタラーティット】が初代の王です。
ラームカムヘーン王
シーインタラーティット王の息子が【ラームカムヘーン王】です。
スコータイ王朝の繁栄した時期は、3代目ラームカムヘーン王の時代になります。
ラームカムヘーン王は、タイ国の3大王の一人で、単に領土を広げたばかりでなく、
タイ文字を1283年に制定し、スリランカから上座部仏教を取り入れ国教としました。
また、交易の自由を認めるなど、内政、文化面で多くの実績を上げました。
アユタヤ王朝
アユタヤの地は貿易の中心地として栄えていました。
1350年に、ラーマティボディ一世がアヤタヤを王都にして、王国を作り、初代国王となりました。
アユタヤ王朝は、強力なカンボジアの影響を受けていたそうですが、
1378年には、スコータイを属国とし、400年以上も栄えることとなります。
その後、1765年にビルマに侵攻され、2年間の戦いの後、1767年4月7日の総攻撃で一夜にして陥落。
これにより仏典、寺院、仏像などがすべて破壊されてしまいました。
アユタヤのお寺にある仏像は、ほぼ全て首から上が切り取られています。
バンコク王朝
ラマ1世がトンブリの対岸のバンコクに「バンコク王朝」を建てます。
ラマ1世は、王室儀礼の復活や仏教復興に力をいれました。
観光地として有名な王宮や、ワットプラケオ(エメラルド寺院)を建てて、他にも新しい寺院を建立します。
タイの国王と日本
タイは、王様を中心とする王国であり、国王は権力の頂点に立つ存在である。
現在の国王はラーマ9世でタイ国民からも非常に人気があります。
また、タイ国王は日本製品を非常に愛用しており、このことが日本製品の信頼を上げている。
国王がキャノンの一眼レフカメラを首からぶら下げている姿は色んな所で確認されているし、
王宮内の移動用にホンダ・アコードを長きに渡り使用していた。
ファッション関係でも、国王がオニツカタイガーを履いてる写真が出回ってからは、日本でのお土産に購入するタイ人も増えた。
タクシン派と反タクシン派
タクシンとは、タクシン・チナワット、タイの元首相のことです。
タクシン派:反独裁民主同盟:UDD
主な支持基盤はタクシン政権時に大きな恩恵を受けた東北部の農民や都市の貧困層である。
シンボルカラーはタイの国旗の中にある国民の団結心と国家を表す赤。
反タクシン派:民主市民連合:PAD
黄シャツ隊、黄服軍団とも呼ばれる。
反タクシン派の民主市民連合(PAD)は軍や裁判所、官僚といった既存の権力層や都市中間層を基盤とし王室護持を掲げている。
つまりは、反政府デモ隊、政府支持派が対立してるのだ。
まとめ
タイは、東南アジアで唯一どこの植民地にもなってないが、国内では対立しているため、政治問題を解決していくことが大事だと思った。
タイ語でなんて言うの?歴史編
歴史 ประวัติศาสตร์ prawat saat プラワッサー
王様 ราชา Raa shaa ラーシャ
政治 การเมือง garn muang ガーンムアン
日本 ญี่ปุ่น yiipun イープン
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Kazuya Umezawa