タイの歴史丸わかり編②〜「アユタヤ朝」出現から衰退まで〜
サワディーカー!LABタイ語学校です。
前回の「タイの歴史丸わかり編①〜タイ人はどこからやってきた?〜」から引き続き、今回もタイの歴史について少し詳しく解説します。
今回で第2弾!5大王朝の1つである「アユタヤ朝」について詳しく見ていきましょう!
これであなたもタイ史マスター!
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1. 前回までのお話
前回までは
- タイ族は中国の揚子江以南で発生したこと
- 漢民族によって南下してきたこと
- タイ族はそれぞれのムアン(=国)を作り、4つの巨大ムアンが次々にできたこと
- 巨大ムアン「スコータイ朝」が別の巨大ムアン「アユタヤ朝」に吸収されてしまったこと
の4つについてお話ししました。
ここでいきなり現れた「アユタヤ朝」とは一体何者なのでしょうか?
そこで今回は、
- アユタヤ朝の成立
- アユタヤ朝の繁栄
- アユタヤ朝の衰退
の3つについて順番に説明していきます(^^)
2. アユタヤ朝(アユッタヤー朝)の成立
アユタヤ朝が成立する前、チャオプラヤー川下流域では「スパンブリー」と「ロッブリー」というムアン(=国)が勢力を強めていました。
そして、この2つのムアンそれぞれの王女と婚姻関係を持った人がいました。それがアユタヤ朝を興した「ウートーン」という王です。
ウートーンはこの婚姻関係により「スパンブリー」と「ロッブリー」の勢力を手に入れ、
1351年に両ムアンの中間地点である「アユタヤ」に王都を置き「アユタヤ朝」を成立させました。
余談ですが、この突然登場したウートーン王、実はその出自についてはよくわかっていません。
- 北部から逃れてきた説
- アヨータヤーというアユタヤ朝ができる前のムアンの王だった説
などなど、様々な説が存在します。
3. アユタヤ朝の繁栄〜アユタヤ朝、勢力拡大へ〜
ウートーン王がアユタヤ朝を建国すると、何代にもわたって勢力拡大を図ります。
クメール帝国への進出
まず、ウートーン王はアユタヤ朝ができてすぐ、「クメール帝国」を併合しようと戦いを起こしました。
ただ、このクメール帝国はなかなかの強者だったので、ウートーン王の軍だけでは勝てず、義兄パグアと王子ラーメースアンに加勢してもらい、やっとの事で勝利しました。
ウートーン王の軍だけで勝てなかったことからもわかるように、当時のアユタヤ朝は人が少なく、まだまだ弱い国でした。そこで、戦利品としてたくさんのクメール人をもらい、労働力として活用したそうです。
そして「ボーロマラーチャー2世」が再びクメール帝国へ勢力を拡大しようと戦いを仕掛けます。すでに前回の戦いで国力が弱っていたクメール帝国は、この戦争に負けてしまい、ついに消滅しました。
この時にクメール帝国にいたクメール族は都の「アンコール」を捨てて逃げて行きました。
そうして忘れ去られた「アンコール」は19世紀に発見されるまでの間、ジャングルに埋もれてしまいました。
その「アンコール」は今や世界文化遺産となっていて、カンボジアで見ることができますよ(^^)
スコータイを吸収
南方でクメール帝国を消滅させた一方で、北方ではスコータイ朝を狙います。
スコータイ朝の王が途絶えた隙に、スコータイ王家の血筋を引いていた「トライローカナート王」(当時17歳!)が王位を継承しました。
そうして、アユタヤの一部としてスコータイ朝を吸収します。
このトライローカナート王は40年間もアユタヤ朝の王として君臨し、アユタヤ朝を強い国にするために身分制度や役職制度を作ります。
4. アユタヤ朝の衰退〜巨大勢力「タウングー朝(トゥングー朝)」出現〜
ビルマの巨大勢力「タウングー朝(トゥングー朝)」
クメール帝国やスコータイ朝を吸収することで勢力を増してきたアユタヤ朝でしたが、対抗する勢力が出現します。それが「ダウングー朝(トゥングー朝)」です。
このダウングー朝はビルマで勢力を巨大化させ、さらに支配域を拡大させようとタイ族のムアンを狙い始めます。
1558年には当時の巨大ムアン「ラーンナー王国」を、1571年からの10年間は「ラーンサーン王国」をビルマの属国とします。
当時の位置関係↓
アユタヤ朝はタウングー朝の属国へ
ラーンナー王国やラーンサーン王国などのタイ族巨大ムアンを支配したタウングー朝は、いよいよアユタヤ朝も狙い始めます。
まず、タウングー朝はもともとスコータイ朝があったピッサヌロークという土地を攻撃し、その領主であったマハータンマラーチャーを味方につけます。彼はビルマに忠誠を誓い、自分の息子の「ナレースアン」を人質として差し出しました。
そして1568年、タウングー朝はマハータンマラーチャーとともにアユタヤを陥落させます。
ただ、ここで注意が必要なのは、アユタヤ朝は消滅したわけではなく、ビルマの属国として存在し続けたということ。そして、ビルマの属国となってからのアユタヤ朝の王はマハータンマラーチャーが君臨することとなりました。
タウングー朝の人質として差し出されたマハータンマラーチャーの息子「ナレースアン」は、その後アユタヤ朝を復活させる重要な人物となります。
5. 最後に
いかがでしたか?
アユタヤ朝は世界史の中でもかなり有名な巨大ムアンですが、一度はビルマの属国となっていたとは驚きです。
次回は、そんなアユタヤ朝の復活劇をご紹介します。お楽しみに!